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ホテル・ウェルカム22号室へようこそ。ここはジャン・コクトーを訪ねてきた方専用の客室です。
by jean-cocteau-anje


HOTEL WELCOME 《1》

ホテル・ウェルカムに宿泊してみましょう。

幽霊屋敷になりたがっている家には出入りしないことだ。それは嵐とか火事に任せておけばよい

こういう書き出しで始まるジャン・コクトーのエッセイがあります。
1924年の夏にヴィルフランシュにあるホテル・ウェルカムに滞在して以来、度々コクトーはこのホテルで生活をしています。
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幽霊にとり憑かれたホテルは、ヴィルフランシュにあるホテル・ウェルカムだった。たしかにぼくらもそこにしばしば滞在した。そこにはそんな兆候は少しもなかったからだ。たしかにあそこには蔭になった路地があった。
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それからたしかにヴォーバンの築いた城壁と兵舎があり、夕方ともなれば夢想の不条理な壮麗さを喚び起させた。
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左手にはニース、右手にはモンテ=カルロがあり、陰険そうな建物が見えた。だがホテル・ウェルカムはひたすら魅力的であり、恐れるものは何一つないかのような外観を呈していた。

(文中にある左手、右手は海に背を向けて立った状態での方向になります。)

ジャン・コクトーの部屋は23号室と22号室。
23号室は自分の部屋として、22号室は来客用にしていました。
ホテルの階段を登っていくと、左側に他の客室と違う表札の部屋があります。
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ここがジャン・コクトーの滞在していた部屋の扉です。
この部屋の中でコクトーは生活し、いくつかの作品も生まれました。
部屋はレセプションの女性曰く「ゴメンなさい、公開はしていないの。」とのことで中には入れませんでした。残念。ではこのコクトーの部屋の上、最上階の同じ場所にある部屋に宿泊しましょう。
レセプションの男性がリーフレットとルームサービスの用紙を私によこし、そのままトランクを持って案内してくれました。
「とても景色が良い部屋だよ。目の前が海だ。」

ホテルは、好きな時にやって来てぼくたちのことをじろじろと見るあの目に見えないもの達でいっぱいだった。彼らはそのホテルで、ドラマを、眩羣を、霊感の聖なる炎をまきおこしたのだった。
人づてに聞いた話では、ホテル・ウェルカムには、今はただ壁が残っているだけということだ。(ふたしかだが。)それこそが、あの空虚の最終的な勝利なのだ。おそらくホテルは再建されるだろう。だが旅行する人たちよ、ご注意あれ! 爆弾も幽霊たちを殺しはしない。そのホテルは今でも幽霊たちにとり憑かれているのだ。
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いくつかの幽霊屋敷があるのをぼくは知っていた。それらは、持ち主たちの優雅な狂気によって幽霊屋敷となっていったのだった。
【ぼく自身あるいは困難な存在/幽霊屋敷について】
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# by jean-cocteau-anje | 2008-01-12 00:28 | コクトーの訪れた土地

交友と孤独

交友と孤独_f0074714_1050491.jpgぼくの作品のテーマは“孤独”です。ぼくの作品に出てくる人物は例外なしに、お互いに結びつくことが出来ずに悩んでいるのです。



ジャン・コクトーはアカデミー・フランセーズの会員になった際のスピーチでこう語った。
しかし、コクトーを語る上で彼の交友の広さは欠かせないものです。


ピカソ、ストラヴィスキー、コレット、ボーボワール、ニジンスキー、ダリ、プルースト、ディオール、アポリネール、ミシア・セール、ラディゲ、シャネル、ジジ・ジャンメール、ローラン・プティ、サガン、チャップリン、ブラック、アンドレ・ロート、キスリング、モディリアニ、マックス・ジャコブ、アンドレ・サルモン、マシーンetc …… そしてジャン・マレー
これはごく一部、コクトーの交友関係を繙けば、当時のベル・エポックの姿がそのまま浮き彫りになるといっても過言ではないほど。驚く様な面々です。
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コクトーは友人をとても大切にしたし、そして友人同士が仲良くなるのをとても喜ぶ人でした。

1917年にはコクトーが台本を書き、音楽サティ、舞台装置&衣装ピカソ、振り付けマシーン、それをニジンスキーはじめロシアバレエ団が踊るという、超豪華なバレエ『パラード』を上演し人々を驚かせました。

年齢の離れた若い人との交流も避けることはありませんでした。

ぼくは若者たちと親しくするのが好きだ。彼らは年齢以上に多くのものをぼくに教えてくれる。彼らの傲慢さ、手厳しさは、ぼくらには冷たいシャワーとなる。それはぼくらの健康法なのだ。その上彼らの手本となる義務があるので、ぼくらも自然と正しい道を歩まざるえない。ぼくと同世代の多くの人々が、彼らとの接触を避けているのもわかるが、ぼくはむしろそうした接触を求めている。

いわゆる“一般人”の若者がコクトーのもとを訪ねてくることも多かった。
コクトーは人の才能を引き出す天才でもあった。コクトーを通じて世に出た人は多かったし、またそれに恩を着せることなく喜んでいた。
来客と電話が多過ぎて仕事にならない。
そういってわざわざパリ郊外に移り住んだりすらしている。
コクトーのいう“孤独”とは、ゴッホベートーベンのそれとは明らかに違う。そして決して、それを嘆き悲しんだりはしていない。

ぼくには孤独は有益なのだ、孤独はぼくに生気を蘇らせてくれるから。

例えコクトーがパリから遠く離れた南フランスにいても、シャネル、コレット、バレンシアガ、そしてピカソは妻と。皆、コクトーのもとを訪れ、楽しい時間を過ごしている。

『私が感じているのは、この世に存在することの難しさです。』
このフォントネルの言葉に対してコクトーぼくにとっては、常にそうなのだ。と言い、そしてこう言っている。

最後の最後まで存在することの危うさに賭ける。

コクトーが人々の心の中に存在出来た理由は、ここに答があるのでしょう。
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# by jean-cocteau-anje | 2006-05-19 01:58 | コクトーについて

ダ・ヴィンチ・コード

ダ・ヴィンチ・コードに出て来る秘密結社のメンバーにジャン・コクトーの名前が出てきます。(注:小説版には名前が出てくるものの、映画版ではこのエピソードは省略されていました。)

1960年代半ば、フランスの国立図書館に『4番Im249』という秘密文書が寄せられた。そこに記されていたのはシオン修道会という、エルサレムを征服した十字軍騎士ゴドフロア・ド・ブイヨンによって設立され、現在まで連綿と続く組織。かのテンプル騎士団シオン修道会によって設立されたもの。
1980年代、英国人ジャーナリストらの取材によってピエール・プランタール・ド・サン=クレールの存在が浮かび上がり、彼らの使命が明らかにされた。
それによるとシオン修道会メロヴィング王朝の復活を目指しているという。


教会の偽りに気付きこれを世に知らしめようとレオナルド・ダ・ヴィンチは作品に秘密を解く暗号を仕掛けたというのが、話のキーワードらしい。
なお、レオナルド・ダ・ヴィンチ以外の秘密結社シオン修道会歴代総長は……

 初代総長 ジャン・ド・ジゾール
  2代目 マリー・ド・サン=クレール
  3代目 ギョーム・ド・ジゾール
  4代目 エドアール・ド・バール
  5代目 ジャンヌ・ド・バール
  6代目 ジャン・ド・サン=クレール
  7代目 ブランシュ・デヴロー
  8代目 ニコラ・フラメル
  9代目 ルネ・ダンジュー
 10代目 イオランデ・ド・バール
 11代目 サンドロ・ボッティチェリ
 12代目 レオナルド・ダ・ヴィンチ
 13代目 コネタブル・ド・ブルボン
 14代目 フェルディナン・ド・ゴンザーグ
 15代目 ルイ・ド・ヌヴェール
 16代目 ロバート・フラッド
 17代目 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ
 18代目 ロバート・ボイル
 19代目 アイザック・ニュートン
 20代目 チャールズ・ラドクリフ
 21代目 シャルル・ド・ロレーヌ
 22代目 マクシミリアン・ド・ロレーヌ
 23代目 シャルル・ノディエ
 24代目 ヴィクトル・ユゴー
 25代目 クロード・ドビュッシー
 26代目 ジャン・コクトー
 27代目 ピエール・プランタール・ド・サン=クレール


感性が鋭い、かつ、異端であった人達が名を列ねているわけです。
大体、感性や才能を第一に考えるなら、26代目にはコクトーじゃなくてピカソだって同時代にいたわけで……ただ思ったのは、コクトーにはカトリック教会と蜜月状態〜離反という現実があったりして、そういう理由を絡めてコクトーが選ばれたのかな!? と。
ニュートンにしても、研究していた錬金術は“反キリスト教的”と言われていたわけだし……カトリックの偽りを暴くには最適なメンバーと選出されたのかしら?

実際にキリスト教が地動説を認めたのも、ヨハネ・パウロ二世になってからだし、第一処女受胎なんてメチャクチャな理論を未だに振りかざしてるわけでしょ。スペイン等では、キリストでなくマリアを信仰の対象にしていたり、特にヨーロッパの芸術を見るなら、宗教を知らないと意味が分からないくらい重要な問題であるわけです。
実際にヴァチカン市国にも行ったことがあるんだけれど、その時にキリスト教は演出が凄いんだなと感じたんですね。(上手いんですよ、演出が!)

映画のラストシーンは、いかにも新たな謎解きが始まるかの様な感じでしたね。
もし続編があるならばジャン・コクトーはストーリーに絡むのでしょうか?

◆◆◆余談◆◆◆
ところでダ・ヴィンチが最後まで手放さなかったヨハネの絵って、
ゴヤの黒い絵画のシリーズに混ざってても違和感なさそう。

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ダ・ヴィンチ『聖ヨハネ』
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ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』











『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code)
2006年アメリカ映画

監督 ロン・ハワード
脚本 ダン・ブラウン
出演者 トム・ハンクス ジャン・レノ 他

フィクションであるにもかかわらず、冒頭に実在の組織名を挙げ、「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」と述べているために、扱われている内容の真偽について議論が起きた。

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# by jean-cocteau-anje | 2006-05-17 03:02 | コクトーに影響された作品

ジャン・コクトーとは何者なのか?

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jean cocteau

本来ならば、“何者なのか”というのは一番最初に記しておくべき事だと思う。
如何して書かずにいたのかと言われれば、何と言ったらいいか分からなかった、の一言に尽きる。
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例えば、こういう絵を描いた人。
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若い人達は、詩よりもこの手のデッサンから知った人が多いのではないだろうか? それから映画美女と野獣の監督。
詩人、小説家、評論家、戯曲家、脚本家、バレエ制作者、オペラ制作者、映画制作者、監督、俳優、画家、舞台装置家 etc

魔術師、軽業師、幅広くジャンルを超越した才能からオーケストラ人間とも言われた。

時間という、
鳴りの狂った時計をば欺いてやる目的で
二十種も詩風を変えて歌ってきた。
このやりかたで避けてきた、称賛も、
さては高貴な酷評も。


平調詩(堀口 大學 訳)の中でコクトー自身も語っているように、色々な物事に生涯取り組んでいる。更に周囲ではあらゆる交友を持ち、結果『総合芸術』の世界を確立した、コクトー。 

淀川 長治氏がジャン・コクトーについてこのように言っています。

(略)ちょうどね、フランスの上等の香水、と言っても、古い瓶、よほど鼻を近づけないと匂うか匂わないかわからんぐらいに干からびた、昔の香水瓶の残り香を嗅ぐ、そんなようなことです。いまコクトーを見るということは。その香水は、ゲランどころやない、みごとな、みごとな香水なんです。極上の香りです。(略)コクトーのこと、僕はいつも喋っていますが、この人は天才。(略)ただ単に天才なの。だけれど、何の天才かというと、そこは言うのが難しい。
(略)映画の原理はね、一番最初はエジソンだ、ルミエール兄弟だ、というような面倒くさい話じゃないんです。活動写真がいかに面白いかということを、コクトーはきれいに芸術にして、見せてくれた。コクトーのそういうところが、僕は大好きだったの。(略)ジャン・コクトーも、一ぺんでわかるというものではないけど、若い人が見て、勉強してくれるなら僕はやっぱり嬉しい。
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その多才さが評価される一方で、ひとつのものを追求することこそ良しとする人々には軽薄だと酷評された。そして重厚さとは逆の作風も、それに輪を掛けて嘲笑の的になった。

堀口 大學はそれをこのように語っています。

「コクトーの深さは、地軸へ向かう代わりに天心へ向かう深さだ。」


結局、ジャン・コクトーとは何者なのか?
取り合えず、私がそう聞かれた時には“幸せな人”と言うことにしている。
# by jean-cocteau-anje | 2006-05-11 17:42 | コクトーについて